2019-03-13 第198回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
これは、一つのコンピューターが人類のトータル的な能力を超える時代である、そのときは、働いている人は一割ぐらいで、九割の人は働かなくてもいい時代になるというふうに言っていますが、一方で、ノア・ハラリは、「ホモ・デウス」という本の中で、働かなくてもいい人が九割というのじゃなくて、無用者階級と言っているんですね。つまり、九割の人はもう用がない時代になってくる、将来。
これは、一つのコンピューターが人類のトータル的な能力を超える時代である、そのときは、働いている人は一割ぐらいで、九割の人は働かなくてもいい時代になるというふうに言っていますが、一方で、ノア・ハラリは、「ホモ・デウス」という本の中で、働かなくてもいい人が九割というのじゃなくて、無用者階級と言っているんですね。つまり、九割の人はもう用がない時代になってくる、将来。
例えばイギリスの例などで申しますと、特に労働者階級の子供たちというのは親が大学進学に興味がないということで、子供も進学に興味がないというような例がありまして、進学率が上がらないというようなことがありますけど、日本ではそういう例は少ないのではないか、ただし、ないとは言えないということが問題だというふうに思っております。 ありがとうございました。
繰り返し繰り返し、この種の貿易協定の支持者たちは、これらの貿易協定がいかに多くの雇用を生み出し、我が国の中間層や労働者階級にとっていかに有益なものか、私たちに語ってきました。しかし、繰り返し繰り返し彼らが私に語ってきたことが実際には全て誤りであったことが明らかになってきたのです。にもかかわらず、彼らは再び、今回のTPPで同じ過ちを繰り返そうとしています。
この方、非常におもしろい経歴でございまして、非常に貧しい労働者階級の家に生まれて、家族の中で高校を出たのも自分が初めてだというふうにおっしゃっていました。非常にエネルギッシュでありまして、家族はみんなもともと労働党の支持者だったんだけれども、自分は自由党に入って、中道右派政党ですけれども、そこで、党員投票で予備選をやって候補者を決めるわけです。
やはり、それは私の乏しい語彙力で言えば、上から目線というか、あるいは支配者階級的な考え方、私はそこに行ってしまうと思うんです。 私は、下村大臣が、やはり、こう言ってはなんですが、苦学生として頑張ってこられたという御経験をお持ちなので、是非そういった子供たちの目線で物事をお考えになって大きな英断をいただきたいなと期待を申し上げておきたいと、このように思います。
例えば、イギリスの場合には、労働者階級とそれからかつてであれば有産階級というふうな形で、大体それで社会の利益が集約できたと。ところが、どんどんそういうところでは収まり切らない人たちが出てきて、例えばイギリスの投票パターンでいうと、三五%ぐらいの人が二大政党制に入れていないと。 日本の場合には、衆議院ですと二割ぐらいの人が、二〇〇〇年代の後半ですと二割ぐらいの人が二大政党制に入れていないと。
実は、社会保険をちょっと調べてみましたら、社会保険制度のそもそもというのは、十九世紀のドイツ帝国のビスマルクが、いわゆる上層部のさまざまな労働者階級や商工階級、この人たちを政府に引きつけるというような、大変政略的な意味合いでつくられたという経緯があるように聞いております。
低所得者階級や中所得者の階級の方々には、入学金や授業料の問題が非常に深刻です。いろいろな調査によりましても、子育てをする中で一番経済的負担というのが教育費の負担であるというような結果も出ております。
ですから、先ほど託児と言われましたが、正に労働者階級の子供が一般よりも弱者の立場にあるのだからそれを守るんだ、助けてやろうという施策だったということですね。 これがやはり今になってみますと、幼保のこの前総合施設もごらんになったと思いますけれども、そういう考え方というのはやはり一面的ですし、またそれをやっている限り明るい展望というのは見えてこないというふうに今変化しつつあると思います。
必須条件とまで言われていまして、働いた経験を全然持っていないで新しく自分の会社に働くというのは余り良くない、どこかで働いてもらったらコミュニケーションの能力はできるし、いろんな苦労もあるだろうし、忍耐力も養われるだろうし、いろんな人と付き合うすべも学ぶだろうということでインターンシップ、大学時代のインターンシップがもう良い就職のための必須のようなことになっていまして、イギリスは、階級を超えていかに労働者階級
言わば年金というのは世代間の所得の移転でありますから、高齢者から、働く人から、労働者階級、労働者から高齢者に対して所得の、フローの移転が行われているわけでありますけれども、そうしたそのフローの移転、言ってみれば仕送りですね、毎年の仕送りですね、そういったもので高齢者を扶養していくべきなのかどうかということでありまして、私はそうしたフローには当然限界があるというふうに思うんですね。
○小野小委員 先ほど来いろいろな方々の御議論にもありましたけれども、日本には日本の伝統、歴史、文化があり、その中において、支配者階級と言われる層と一般国民の間のかかわり方も、これは他国と同一ではあり得ない。
ただ、日本の場合は、正直申し上げて、欧米先進国のような形の個人主義的なものというよりは、日本の企業経営等を見ておりましても、資本家対労働者階級という階級的な対立の上に近代国家を形成してきたのではなくて、むしろ、企業城下町というか、一家ぐるみで来るような温情的な部分も実はあるわけですから、その要素をどういうふうに残していくのか、生かしていくのかという議論はなかなか難しいところがあるのは事実だろうと思います
労働者階級と資本家階級が今同時に創出され、所得分配も二極化する段階にあります。皆さんが一番見ているのが進んでいるところばっかりなんですが、ただ、初期資本主義といっても日本みたいに成熟した資本主義、一応看板はそうなっているんですが、との間にはまだギャップあるんですね。何が足りないかといったら、成熟した資本主義にはまず人治社会ではなく、法治社会でなければならない。
「労働者階級を代表する労働者団体が数多く存在する特殊な国では、政府は、労働者の代表及び顧問を指名する際にこれらの団体のすべてを考慮に入れなければならない。この方法を取ることによってのみ、政府はその特殊な状態を考慮した上で、関係する労働者階級の見解を総会において代表することのできる人物を選ぶことができる」。
第一号条約というのは、どういう経過で歴史的に採択されるに至ったかという点を考えてみますと、この条約が採択されるに先立つこと百年、ロバート・オーエンを代表とする当時の先覚者たちが提案し、また世界の労働者階級の長い闘いがあって、そういう産物として一九一九年に至って採択されたという歴史的経過から見ても、また第一次世界大戦におけるベルサイユ平和条約の一部分として採択された取り決めに沿ってILOが創設され、こういう
今の時代、かつてのソ連とアメリカが対立するような時代の労働者階級対資本者階級、そういうような面でとらえる労働者というとらえ方ではもう時代おくれだと思うんです。
時々私も行くんですが、当時のロンドンの労働者階級を集めてつくった町ということで、そんなに裕福な町、ぜいたくな町ではないんですけれども、当時のたたずまいがそのまま残っているわけです、区画なんかが。つまり、敷地というのはそんなに細分化されていない、全く細分化されていないと言った方がいいと思うんです。原形をとどめているわけです。
勤労者階級の消費性向も落ちている。前年度の七三%ぐらいしかないとかいう統計もありました。だから、そういうのを見てくると、やはり経済は小さく小さく、縮小過程に入っているのじゃないか。 それで、なぜこれにこだわるかというと、メンツの問題でも何でもなくて、どこが悪いのかということを正しく診断することが正しい治療法の根本になることは、医学の例を引くまでもないわけですね。